これから僕が鬱(うつ)になるとしたら…

中々衝撃的なタイトルで、目を引かれた人もいるのではないでしょうか。危ないよー、気をつけてー!笑

 

 

まあ冗談はさておき(笑)、実は僕毎朝300~500字ほどの日記を書いているんです、その名も「感情ノート」。かれこれ書き始めて約半年。この日記は自分以外家族、友人などどれだけ身近な人にも絶対にみせないものなので、ほんとに自分の感情の動きが全て書かれてあります。悪いこと、自分をほめたたえるようなこと、人への嫉妬などなど様々です(笑)

 

 

しばらくブログの更新をしていませんでしたが、その理由は生活の充実にあります。どうしても仕事、そしてYouTube(そうなんですよ、もうはじめて3カ月くらいたっています)をしている関係上、ブログは定期的に後進するのが難しくなりました(さすがにそこまでは頑張れない・・・・)

 

 

ただね、こうやって過ごしててやっぱり動画とかでは発信しにくい、「自分の中で考えたことを表に出したいとき」ってめちゃめちゃあるんすよね、『感情ノート』に書いている表に出せないようなものではなくて、誰かと共有したいもの。そう、それが今回の記事でもあるのよ。。。。。

 

 

ってなわけでまじ不定期で投稿していきまーす!

 

 

 

 

  • 20代ってだけでマジ勝ちよね

このタイトルと整合性が取れてなかったらちょと申し訳ないですが、、、笑 気分で書いてるんで多めに見てください。

 

 

僕は2020年度の4月から、とあるサッカー事業会社の『新卒使えないサラリーマン』として働いています。その名の通り、全く会社には貢献できていないでしょう。ただがむしゃらにあくせく働いているだけ、、、ww

 

 

ただ、昨年の10月から実はアルバイトとしてここでは同じような業務を経験していました。そのため、若干業務をあらかじめ知っているレベルではありました。そこで働くなかで、『あーやべぇ、会社行きたくねえ』『この選択ミスったかな…(*´-`)』と思った日はこの半年ほどでも数回あります(自分で会社選んだはずなのに…笑)

 

 

ただ、何でしょう…こうやってブログで全面に書いている通り、身体的、精神的にダメージを感じているわけではありませんww これ矛盾なんですよねww

 

 

くきー!何なんこの気持ちは!もう辛っ!!!!(辛いじゃないよ)

 

 

と思うこともあります。しかし、この気持ち、凄いうがった見方をすれば、この未経験な20代のうちしか感じることができないんだろうなと思うわけです。そして、これを30代、40代で初経験するとなると、正直受け止められないんじゃないかなーとも想像したりします。なぜなら、若い時のメンタルは歳をとってもそのまま維持されると思うから。

 

 

なので、身体的にフレッシュでリスクに対してそこまでひけをとらないこの20代は、めちゃめちゃ実験ができる時間だなと日々感じています。それは仕事のことしかり、最近思うのは週の中で無理して睡眠時間を削って、自分が熱狂することに取り組むということしかり。(YouTube、仕事…)

 

 

このフレッシュな時に追い込むことができたら、30代、40代の自分の許容範囲が異常に拡大するんやろうなーと思って、僕は週に2度ほど『自分を追い込むデー』として、時間を使うことにしています。

 

 

※身体にガタを感じ始めたら、即やめます。(キリッ!)

 

 

まぁつまり、自分の欲のまま好きに時間を使える20代は、それだけで価値があるよってことを言いたかったんです、はい。あ、ごめんなさいね、タイトルとは全然かんけいなかったかも。

 

 

  • 30代、40代でしなやかに生きたい

 

 

そろそろ、このタイトルと関連づけましょうか。僕はね、留学で『鬱に近い状態』になった経験があるんです。もう何回も書いてたり、人に自慢するかのように話したり(笑)、そろそろやめるかw

 

 

でね、1番はそれを経験したことでメンタル的に幅ができたんですよ。そしてそれは、自分への批判(人格批判)と、自分の行動によって生じた結果への批判(◯◯批判)を意識的に分けられるようになったということを意味します。例えば、、、、

 

 

『お前の意見クズやな、使えんわ…』

 

 

はい皆さんこう言われて落ち込みますかー?んー、これは全然褒め言葉やないかと思うレベルですねー、はい。(ちょと度が過ぎてる?笑)

いいじゃないですか、『自分の意見に対して』正直な意見を伝えるために、この方はクズという過激な表現を使っていると、、、クズと言わないといけないくらい、熟成されていない案の恐れがあると言うことですよね。自分が気づけていないそのクソさに、こういった言葉で気づけるのであれば、それはすごいありがたい指摘ではないでしょうか。それとは裏腹に…

 

 

『お前まじやばいぞww』

『人として終わってる』

『お前みたいな◯◯、ふりゃぁぁぁああああヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3』

 

 

こういった、『自分』が主語になっている悪口のようなものは非常に良くないです。なぜならこれは、『自分の人格を否定されている』から。ここはしっかりと分けて受け止めないといけません。なのにこれをいっしょくたんにまとめて引き受けてしまいがちな人が多い。これ、辛いっすよねー。だって人格は変えれないすもん。変えれないものを全否定された時の気分ときたら、ほんと底無しの穴に埋め込まれたような、どうしようも無い気分に苛まれると思います。ただ、社会人生活を送っていたら、1度は必ず誰しも人格否定発言言われちゃうと思うんですよねww

 

 

こういう風に言われた時には、『あ、なんかなすびがほざいてるわ』『なんかミニトマトが喋っとるw』といった具合に、その相手を何か別のものに置き換えて考えてみましょう!騒音として受け止めるという工夫が必要です!

  •  

 

 

うん、んでここからが結構本題なんですがw

まあ僕が留学時代に経験したのが、この人格否定による落ち込みなんですよね、だって日本人というアイデンティティは変えようがないから。解決策が見当たらなかった…。そこから今に至るわけですが、僕は次同じ経験をしても、『すぐにその場を立ち去る』という解決策を見つけたので、まあメンタル的に同じように病むことはないと思うんです。ただ、『会社で働いている』という環境の場合はちょと違う。そんな簡単に流れるわけないですよね。

 

 

まあ奇跡的に今僕がいる会社では、こういったことは起こることないだろなーというのが僕の感想です。ただそれでも、『きついことあるだろーなーこれから!』というのが正直な感想です。みんなもそーだろう!!!社会人生活なんて楽なこと、楽しいことよりきついことの方が多いだろう!!

 

 

ってことでこれから『僕が鬱になる可能性があること』を考えた時に一つ思い浮かんだので、それを紹介します。それは、、、、『自分を信じられなくなった時』です。これはもしかしたら、海外で人格否定を喰らった僕でも乗り越えられないかもしれない、うんそう思います。まあそうやって苦しむ時には周りの力をほいほいほいーーーーって借りちゃうわけですがww

 

 

自分を信じられないってね、ほんとにキツい。たとえばよ、なんか悪いことして自分が得しよーと思う、そういう人って一定数いるわけじゃないですかw そのレベルの人たちでも、『自分は大丈夫、自分は絶対に誰にもバレない』というように、自分を肯定的に思ってるからそういうこと平気でできちゃうわけですよね。でも、自分を信じられなくなると、おそらくこういうこともできなくなる。つまり、『何もできなくなる』。これが非常に辛い。

 

 

そして、30代、40代とある程度メンタル的にもフィジカル的にも落ち着いてくるその時にこういった状況にぶち当たることほど、残酷なことはありません。小回りが効かない年になってると思うので、僕はこれが1番怖い。

 

 

だから、20代のうちにこういった経験ができるよう、生活していかないとなーと思ってるんです。そのためには、『自分が今心から信じているもの、そして自分が有する価値観に従って精一杯生きていく』ことが必要になるかと思っています。自分が信じていることを突き詰めた先に、究極の問いが自分を待ち受けているのだろうと。もしかしたら自分が信じていたものが、全く違う様相を呈するかもしれない。僕は遅くとも、25歳まで、(来年かよもう、はやっ)までに、1度そういった境遇にぶち当たろうと思っています。

 

 

いやーなんでこんなストイックなんや。元からポジディブだからかな、、、いや?

 

 

不安症、心の奥底はネガティブやから、ここまで現実を見つめて動けるんだな。そう、僕ネガティブなんですよ、最近気づきました。

 

 

今回はこの辺で終わりにしましょうかね。皆さんも、『自分のことを信じることができなく』なったら、ぜひその際は信頼できる人に直ぐに相談しましょう。キツい時には、絶対に自分の中で抱え込んではダメです。風船が爆発するなみの爆音とともに身体に支障をきたしますから。

 

 

それじゃ!