アメリカ研究生活4ヶ月の振り返り⑥

どうもこんにちは、かずにすた こと Kazuya です。前回の記事の続きいきます。ご一読、どうぞ。

 

12月 ー最期ー

 

※続きは、「思いがけずVISAを紛失してしまう…」というところから、始まります。

 

 

 

「え、これほんとどうしたら良いだろう。とりあえず今までにこういう前例がなかったかどうか、調べてみるか。」

↓調べた結果…

該当ケースなし。そしたら、仲良くしてくれたライティングセンターの人に相談してみよう。

↓相談した結果…

初めてのことで、なんのことがよくわからない。とのことである。僕は、年明けを約1ヶ月後に控えたところで、最大の危機に陥ってしまった。

 

 

 

実は、この間色々と画策していたことがあった。それは、

 

 

  • 地元アマチュアサッカーチームでの運営ボランティア活動
  • 住居の引越し(一人暮らし→7〜8人でのシェアハウス)
  • 年越しをニューヨークのタイムズスクエアでする!(高いけど…行きたい!笑)
  • 1月中旬に同じ留学仲間の友達がリノに来るということで、車の用意や計画など

 

 

このように、結構ワクワクすることが控えており、自分としても「楽しく頑張っていこう!」という段階にいた。それが、蓋を開けてみればこれだ。全く予期していなかった。

 

 

 

そして、無慈悲にも日にちは経過し続け、気づけばクリスマス前。アメリカのクリスマスへの意識は非常に高い。大学の図書館内にも大きなクリスマスツリーが用意され、カジノが売りのリノの街も、クリスマスカラーを感じさせる。街全体が華やかなムードになる中、僕は気が気でない状態でいた。そんな中、「何とかできるところまで資料を集めて、日本で続けられるようにしよう」と、図書館にて躍起になっていた。

 

 

 

そこで、たまたま僕の指導教員と別の教授が、なんだか和やかに会話をしているのが近くのミーティングルームから聞こえてきた。そして、指導教員が放った一言が、僕の耳に自然と流れ込んできた。正確な言葉は再現できないが、次のような趣旨の台詞を放った。

 

 

 

あー、これでやっとジャッ◯から解放されるのー…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで鉛の弾を食らったような、そんな感覚だった。

 

 

 

「ジャッ◯」

 

 

 

知ってる人は知っているかもしれないが、言わずと知れた日本人への差別用語である。日本人は差別を食らうことが比較的少ないと思われるので、更に分かりやすくすると、僕たち日本人がアフリカ系人種の人に差別用語を放つのと似ている。僕は、よりリアルな状況でこの言葉を浴びせられた。もしかしたら、「いやただ馬鹿にされただけじゃんwww」と思った人もいるだろう。しかし、アメリカではこのような発言はひどく厳しい目にさらされる。いくらトランプ政権による白人主義が再興しているというニュースがあったりにせよ、そんなことはアメリカのほんの一部だ。多くの人が、人種による能力・本質の差というのは科学的に存在しないと考えている。

 

 

 

そして、何より問題なのは「教育機関に関わる人間がこの言葉を放った」ということである。この関係のことを事前に把握していたからこそ、僕にとってのダメージは大きかった。今の日本で仮にこういうことが起こっていたならば、大きな問題になるのではないだろうか。

 

 

 

僕は、更に暗闇のどん底に落ちた気分になった。あー、失望ってこういうことをいうのか。なるほど。そこからは、よく自分でも覚えていない。すぐにその場を立ち去って、自宅に帰り着いたことだけなんとなーく覚えている。曲がりなりにも自分と似たような研究分野でバンバン論文執筆している教授。自分が尊敬していたこの人は、僕のことをこういう風に思っていたのか。暫く、この状況を受け入れることは出来なかった。

 

 

 

そしてこの件と同時期に、僕は本格的な頚椎ヘルニア(この文章下に参考URL有)を発症してしまった。原因はよく分からない。元々高校・大学期にその感触を感じてはいたのだが、何故だかこのタイミングでひどい痛みを感じた。毎日デスクワークに取り組み、週に1度ほどランニングをするという少し運動不足な生活だったかもしれないと反省するところはある。それに加えて、正直精神的にまいってしまったというところは否めない。これによって、僕は歩くのもしんどくなってしまい、気づいたら普通に生活が難しくなっていた。笑

 

 

頚椎椎間板ヘルニアとは | あいちせぼね病院

 

 

 

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これは、僕がVISAを紛失してから一連の件で、僕のことを心配してメッセージを送ってくれた、留学先で最も仲良くなった友達である。今思い返すと返信すらしていない自分に腹が立つし、彼には本当に申し訳ないことをしたと思っている。ただ、このメッセージを見て、本当にどうしようもなく、ただただ嬉しかった。こんな一件があったにもかかわらず、今でも連絡を取り続けている。現在、彼はなんとスペイン・ビルバオに留学をし、ビルバオのファンの方を紹介してくれたり、色々な情報を提供してくれている。僕は彼からギブを受けすぎているので、そろそろリターンをしまくらないといけないなと思っているところである。

 

 

 

ここからは、本当に精神的にも身体的にも地獄だ。慎重にベッドから起き上がり、奨学金関係の手続きのためのメールを作成する。そしてそれを、大学に送る。その作業だけで、身体はかなりこたえた。「とにかく、帰って治療をしないとヤバい。」

 

 

 

日本に帰るために、僕は慌ただしく帰国準備を始めた。

 

 

 

 

かずにすた